ご無沙汰しております。予てから取りかかることを告知していたホームページの構築を、遅々としてですが初めています。また、過去に記した記事の内容について間違いが見つかっており、その修正も行わなければなりませんが、そこまで手が回っておりません。ホームページに移行した際に、その辺りの見直しも行いたいと思います。どうかお許しください。
さて、もうひとつお許しいただきたいことがあります。本日の記事は、先日予告している記事の続きではないということです。多忙であることには変わりなく、それを理由にしたくないという気持ちもあるのですが、それに加えてことヲシテ文献に関しては日々新しいことが解明されつつある為に、記事にまとめてゆくのが難しいのです。
と言い訳はさておき。
本日はあるブログにて、拝読させていただいた記事に感銘を受けました。ちょうど私が考えていたこととシンクロしている内容でもあったので、思うことを書き留めておこうと思った次第です。
そのブログとはこちら、「日々是勉強」さん。
【宝くじ、資格試験、自分の人生】
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-154.html
では、記事に入ります。
さて、もうひとつお許しいただきたいことがあります。本日の記事は、先日予告している記事の続きではないということです。多忙であることには変わりなく、それを理由にしたくないという気持ちもあるのですが、それに加えてことヲシテ文献に関しては日々新しいことが解明されつつある為に、記事にまとめてゆくのが難しいのです。
と言い訳はさておき。
本日はあるブログにて、拝読させていただいた記事に感銘を受けました。ちょうど私が考えていたこととシンクロしている内容でもあったので、思うことを書き留めておこうと思った次第です。
そのブログとはこちら、「日々是勉強」さん。
【宝くじ、資格試験、自分の人生】
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-154.html
では、記事に入ります。
【続きを読む】

あるをしり
いるをしり
うるをしり
えるをしり
おるをしる
文献に記載のある文章ではないことは、先に明言しておきます。
どうぞ誤解の無いよう、お願いいたします。
しかし、内容については文献に記されている哲理より私が読み取ったものでもあります。その正誤については、皆様に文献を読み込んでいただくことで判断していただきたいと思います。
私たちはこの自然世界に確かに存在しています。そして、存在すること「在ること」は(無)意識的に知っています。これを意識下に顕在化させる必要があると考えます。私たちは自然世界があってこそ存在できる存在であることは間違いないからです。ゆえに、自然世界の内に存在することを認識できた後には「有る存在」であることを意識する必要があると考えます。有る存在というのは、この自然世界が存在することによって、初めて今こうして生きることができているということを意味しています。
ヲシテ文献にはアメノミヲヤという慈恵すべき大祖先の記述があります。アメノミヲヤは自然世界そのものという形而下にある概念でありながら、自然世界の原理原則を司る形而上の概念でもあります。宇宙も、そして私たちも含む全ての概念の大先祖がアメノミヲヤという概念であるという考え方です。
アメノミヲヤという全ての根源であり膨大な可能性を秘めた概念を、彼らは生命体として認識しています。アメノミヲヤのヒトイキ(1から10までに表現される自然宇宙における原理原則を内包した息)によって、この自然世界が始まり、そして天体が誕生してゆく様が、いわゆる天地開闢として描かれています。つまり、アメノミヲヤより生じた星々や天体も、アメノミヲヤをヲヤ(親)とするコ(子)であり、生命体であるのです。ヒノワと呼ばれる太陽、ツキノワと呼ばれる月、クニタマと呼ばれる地球も例外ではありません。
そして、太陽、月、地球の関係は、父、母、子の関係であるようにも読み取れます。太陽は男性に強く影響を及ぼすとされるヲの概念の象徴であり、月は女性に強く影響を及ぼすとされるメの概念の象徴です。地球はヲの要素もメの要素もほどよく交わった概念であり、世界を構成する要素である「ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ」の5態の調和がとれた概念とされています。そういった環境を作り出すことを助けているのが、太陽と月であることは現実的な視点をもってしても言うまでもありません。この2つの天体の活動によって、地球上に様々な影響、恵みがもたらされるのです。
そして私たち人も、アメノミヲヤというヲヤ(親)から生じたコ(子)であると読み取れる記述が多くあります。地球と同じように、世界を構成する要素である五態がましわり生じたのがヒトなのです。また、ヒトの誕生には、太陽と月の活動が密接に関わっていることについても、詳細にわたって記されています。
つまり、私たちヒトはこの自然世界という大きな家族の元で生かされている存在なのです。このことに思いを巡らし感謝し生きることを、私は「あるをしる」と呼んでいます。
アメノミヲヤの動きによって自然世界の構築が始まったように、日本語の48音のアの次にくる音は、動きの意味を内包するイであります。移ろいゆく時間の中、私たちは今そのときに「要る」ものを、取捨択一しなければなりません。選ばないのも、選ばないということを選ぶことであり、取捨択一に入ります。選べずに流されてしまうのも、同じです。
「要る」ものとは、物質的なものであれば、精神的なものでもあります。近々に要るものでもあれば、見極めることは易しいかもしれません。翻って、遠い先にある夢のような概念が本当に要るものなのか、見極めることは困難です。しかし、遠い先に「要る」ものを見極めなければならないときがあるのも事実です。そういう時は、「ある」ことを意識して、できるだけ無理なく自然な「要る」ものを選ぶことが大切です。
私たちの心は移ろうものであり、移ろわされるものであります。移ろいをもたらすものは、環境であり他人であり、自分以外の何かです。自分から何かが生じてくると思うのは、自分が身を寄せている環境という大きな存在を無視した思い込みであり、思い上がりであると考えます。
環境とは自然世界の一部であり、自然世界とはアメノミヲヤそのものです。私たちは自然世界における無理のない動きを意識し、取捨択一する必要があります。目に見えるもの見えないものに関わらず、自分の身に余るものを欲さずに、本当に要るものを知ること。自分自身の性質を知り、真っ直ぐに伸びるには何を欲すれば良いかしること、これを私は「いるをしる」と呼んでいます。
移ろいは動きであり、目に見えるもの見えぬものを問わずに様々な現象や事象を複合的に生じます。自然なかたちの移ろいによってもたらされた変化の中には、好ましい「潤(うる)い」が多くあり、不自然なかたちの移ろいによってもたらされた変化の中には、「潤(うる)い」は少ないでしょう。自分の身に起きている現象を知り、どのように自分が振る舞って行けばよいのかを知ること、そして自然世界よりいただいた「潤い」を意識すること、動きによって生じた温度を知ることを、私は「うるをしる」と呼んでいます。
変化の本質を知ることに努めれば、その変化の行く先を意識することができるでしょう。エの母音を意味する文字形はミツ態と呼ばれ、水の意味を含んでいます。水は液体ですが、気体にも固体にも変化する特質を備えています。カミからシモに流れ、そしてシモからカミに戻る、縦に循環する概念が水です。また、水は様々なものを含み集め動きます。これらのことは、文献の記述の解釈だけでなく、ミツという文字の形からも解ります。
「うる」を知り、その行き先を意識すること、然るべく方向にその流れを導くこと、そして何を「得る(える)」ことができるのか、何を「得る(える)」ことが大切なのか、その在り方を意識することを私は「えるをしる」と呼んでいます。
オの母音を意味する文字形はハニ態といい、固形物や定常化した概念を意味します。私たちは自然世界の中に「居る」のです。自然世界の内には自分の置かれている共同体や社会環境も含まれます。その中における自分、今そこに「居る」ことについて意識し、立ち位置を見極めること、そして自然世界に内在されている共同体の内に受け入れていただいて「居る」ことに感謝すること、それを私は「おるをしる」と呼んでいます。
様々な共同体の破壊が進む近代において「おるをしる」ということは、どちらかといえば難しいことかもしれません。今後もその向きは強くなると考えています。そんな中では、逆にもっと広い共同体や環境に存在することを意味する「ある」を知ることから、意識していただければと思います。豊かな自然環境に恵まれた日本においては、「あるをしる」ことは、まだまだ体感しやすきことかと思います。

あるをしり
いるをしり
うるをしり
えるをしり
おるをしる
私のことを良く知る人は、これを読んで私自身がこれを完璧に実践して生きているとは思われないでしょうし、私自身もそのように思います。しかしながら、これらを日々意識しながら生活することで、剥離していた理想と現実、そして精神と肉体、理性と感情などが緩やかに一つにまとまりつつあることを感じています。例えば、「ある」ことを意識しつつあった2年ほど前からは、自然なものであれば暑さも寒さも、まったく苦痛ではなくなりました。
こういった気付きを得ることができたのも、自然世界を意識して生きていた先人の知恵に触れることができたからこそです。私の場合は、それがヲシテ文献であったというだけのことです。
人々が自然世界において健やかに生きて行くためにはどのようにすれば良いのか。近代以前の社会が遅れていたという近視眼的な近代人の視点から見た一方的な認識は捨て去り、私たちの祖先の歩んできた事跡に目を向けて、これからの私たちの進むべき方向性について考え直す時期にきているのだと思います。
日々の忙しさに流されるばかりではなく、ときには自分自身が自然世界の一部だということ、自分自身が自然世界だということを意識して、生き方について考えていただければと思います。一人一人の気付きこそが、大きなうねりのもととなることを忘れないで下さい。
【続きを隠す】

あるをしり
いるをしり
うるをしり
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おるをしる
文献に記載のある文章ではないことは、先に明言しておきます。
どうぞ誤解の無いよう、お願いいたします。
しかし、内容については文献に記されている哲理より私が読み取ったものでもあります。その正誤については、皆様に文献を読み込んでいただくことで判断していただきたいと思います。
私たちはこの自然世界に確かに存在しています。そして、存在すること「在ること」は(無)意識的に知っています。これを意識下に顕在化させる必要があると考えます。私たちは自然世界があってこそ存在できる存在であることは間違いないからです。ゆえに、自然世界の内に存在することを認識できた後には「有る存在」であることを意識する必要があると考えます。有る存在というのは、この自然世界が存在することによって、初めて今こうして生きることができているということを意味しています。
ヲシテ文献にはアメノミヲヤという慈恵すべき大祖先の記述があります。アメノミヲヤは自然世界そのものという形而下にある概念でありながら、自然世界の原理原則を司る形而上の概念でもあります。宇宙も、そして私たちも含む全ての概念の大先祖がアメノミヲヤという概念であるという考え方です。
アメノミヲヤという全ての根源であり膨大な可能性を秘めた概念を、彼らは生命体として認識しています。アメノミヲヤのヒトイキ(1から10までに表現される自然宇宙における原理原則を内包した息)によって、この自然世界が始まり、そして天体が誕生してゆく様が、いわゆる天地開闢として描かれています。つまり、アメノミヲヤより生じた星々や天体も、アメノミヲヤをヲヤ(親)とするコ(子)であり、生命体であるのです。ヒノワと呼ばれる太陽、ツキノワと呼ばれる月、クニタマと呼ばれる地球も例外ではありません。
そして、太陽、月、地球の関係は、父、母、子の関係であるようにも読み取れます。太陽は男性に強く影響を及ぼすとされるヲの概念の象徴であり、月は女性に強く影響を及ぼすとされるメの概念の象徴です。地球はヲの要素もメの要素もほどよく交わった概念であり、世界を構成する要素である「ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ」の5態の調和がとれた概念とされています。そういった環境を作り出すことを助けているのが、太陽と月であることは現実的な視点をもってしても言うまでもありません。この2つの天体の活動によって、地球上に様々な影響、恵みがもたらされるのです。
そして私たち人も、アメノミヲヤというヲヤ(親)から生じたコ(子)であると読み取れる記述が多くあります。地球と同じように、世界を構成する要素である五態がましわり生じたのがヒトなのです。また、ヒトの誕生には、太陽と月の活動が密接に関わっていることについても、詳細にわたって記されています。
つまり、私たちヒトはこの自然世界という大きな家族の元で生かされている存在なのです。このことに思いを巡らし感謝し生きることを、私は「あるをしる」と呼んでいます。
アメノミヲヤの動きによって自然世界の構築が始まったように、日本語の48音のアの次にくる音は、動きの意味を内包するイであります。移ろいゆく時間の中、私たちは今そのときに「要る」ものを、取捨択一しなければなりません。選ばないのも、選ばないということを選ぶことであり、取捨択一に入ります。選べずに流されてしまうのも、同じです。
「要る」ものとは、物質的なものであれば、精神的なものでもあります。近々に要るものでもあれば、見極めることは易しいかもしれません。翻って、遠い先にある夢のような概念が本当に要るものなのか、見極めることは困難です。しかし、遠い先に「要る」ものを見極めなければならないときがあるのも事実です。そういう時は、「ある」ことを意識して、できるだけ無理なく自然な「要る」ものを選ぶことが大切です。
私たちの心は移ろうものであり、移ろわされるものであります。移ろいをもたらすものは、環境であり他人であり、自分以外の何かです。自分から何かが生じてくると思うのは、自分が身を寄せている環境という大きな存在を無視した思い込みであり、思い上がりであると考えます。
環境とは自然世界の一部であり、自然世界とはアメノミヲヤそのものです。私たちは自然世界における無理のない動きを意識し、取捨択一する必要があります。目に見えるもの見えないものに関わらず、自分の身に余るものを欲さずに、本当に要るものを知ること。自分自身の性質を知り、真っ直ぐに伸びるには何を欲すれば良いかしること、これを私は「いるをしる」と呼んでいます。
移ろいは動きであり、目に見えるもの見えぬものを問わずに様々な現象や事象を複合的に生じます。自然なかたちの移ろいによってもたらされた変化の中には、好ましい「潤(うる)い」が多くあり、不自然なかたちの移ろいによってもたらされた変化の中には、「潤(うる)い」は少ないでしょう。自分の身に起きている現象を知り、どのように自分が振る舞って行けばよいのかを知ること、そして自然世界よりいただいた「潤い」を意識すること、動きによって生じた温度を知ることを、私は「うるをしる」と呼んでいます。
変化の本質を知ることに努めれば、その変化の行く先を意識することができるでしょう。エの母音を意味する文字形はミツ態と呼ばれ、水の意味を含んでいます。水は液体ですが、気体にも固体にも変化する特質を備えています。カミからシモに流れ、そしてシモからカミに戻る、縦に循環する概念が水です。また、水は様々なものを含み集め動きます。これらのことは、文献の記述の解釈だけでなく、ミツという文字の形からも解ります。
「うる」を知り、その行き先を意識すること、然るべく方向にその流れを導くこと、そして何を「得る(える)」ことができるのか、何を「得る(える)」ことが大切なのか、その在り方を意識することを私は「えるをしる」と呼んでいます。
オの母音を意味する文字形はハニ態といい、固形物や定常化した概念を意味します。私たちは自然世界の中に「居る」のです。自然世界の内には自分の置かれている共同体や社会環境も含まれます。その中における自分、今そこに「居る」ことについて意識し、立ち位置を見極めること、そして自然世界に内在されている共同体の内に受け入れていただいて「居る」ことに感謝すること、それを私は「おるをしる」と呼んでいます。
様々な共同体の破壊が進む近代において「おるをしる」ということは、どちらかといえば難しいことかもしれません。今後もその向きは強くなると考えています。そんな中では、逆にもっと広い共同体や環境に存在することを意味する「ある」を知ることから、意識していただければと思います。豊かな自然環境に恵まれた日本においては、「あるをしる」ことは、まだまだ体感しやすきことかと思います。

あるをしり
いるをしり
うるをしり
えるをしり
おるをしる
私のことを良く知る人は、これを読んで私自身がこれを完璧に実践して生きているとは思われないでしょうし、私自身もそのように思います。しかしながら、これらを日々意識しながら生活することで、剥離していた理想と現実、そして精神と肉体、理性と感情などが緩やかに一つにまとまりつつあることを感じています。例えば、「ある」ことを意識しつつあった2年ほど前からは、自然なものであれば暑さも寒さも、まったく苦痛ではなくなりました。
こういった気付きを得ることができたのも、自然世界を意識して生きていた先人の知恵に触れることができたからこそです。私の場合は、それがヲシテ文献であったというだけのことです。
人々が自然世界において健やかに生きて行くためにはどのようにすれば良いのか。近代以前の社会が遅れていたという近視眼的な近代人の視点から見た一方的な認識は捨て去り、私たちの祖先の歩んできた事跡に目を向けて、これからの私たちの進むべき方向性について考え直す時期にきているのだと思います。
日々の忙しさに流されるばかりではなく、ときには自分自身が自然世界の一部だということ、自分自身が自然世界だということを意識して、生き方について考えていただければと思います。一人一人の気付きこそが、大きなうねりのもととなることを忘れないで下さい。
【続きを隠す】
タマのネコヱを聴くという記事で、「マ」という文字が、1文字で円運動や円運動によって生じるひとまとまりのエネルギーを表現していることを、「マトカ」という言葉と幾つかの例を挙げながら書いてゆきました。
今回も、前回の記事同様に、ヲシテ文献に記されている哲学を簡単に交えながら記事進める方針に変更はありません。
今回も、前回の記事同様に、ヲシテ文献に記されている哲学を簡単に交えながら記事進める方針に変更はありません。
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『マ』のヲシテ。
マという文字が使われている言葉で、私が長い間興味を惹かれているひとつの言葉があります。それは「ママ」という言葉です。この言葉は、ホツマツタヱの10アヤに用例があります。
10アヤの表題は「カシマタチ ツリタイノアヤ」といい、オホナムチという重臣とその周辺のトミ達の慢心が発端となり、ヲヲヤケの調和に大きな乱れが生じようとした為に、オホナムチとそのトミ達がイツモから更迭されるに至った経緯について、主に記されています。
文献中でオホナムチは「オホナムチ」と呼ばれている場合と「オオナムチ」と呼ばれている場合があります。「オホナムチ」はホツマツタヱ前半のアヤに用例が多く、「オオナムチ」はホツマツタヱ中盤のアヤに用例が多いという明確な特徴があり、この使い分けにも当然のことながら意味があると私は考えています。この事件は前半に位置するので、ここではオホナムチと統一して書いてゆくことにします。
さて、そのオホナムチですがイミナ(生まれた時につける名前)をクシキネと言い、8代目アマカミ・アマテルの弟ソサノヲの子という出自で、アマカミの血筋にかなり近い人物でありました。幼い頃、気性の激しかった父のソサノヲと対照的に、オホナムチは穏やかで優しい温和な性格であったようです。成長し、政治に携わるようになったオホナムチは、北陸地方や山陰地方の開発に卓越した政治手腕を発揮し実績を上げたことに、その人柄の優れていることも加わり、並々成らぬ人望を集めていたであろうと推測できます。
やがて、その実績を認められ、アマカミを輔弼し軍事や刑罰を主に司る役職である右のトミに任じられたオホナムチは、イツモのクニの政治をも任されることとなりました。オホナムチは、新しい赴任先のイツモのクニでもその政治手腕を遺憾なく発揮し、イツモのクニは多くの食糧備蓄を蓄えられるほどに豊かさを称え、災害などによる食糧難に見舞われることがあっても、民が餓え苦しむことは少なくなりました。
しかし、その政治手腕と人望こそが災いの種となってしまいました。己の力を過信して慢心が目立つようになったオホナムチは、備蓄と言うには余有る過剰な富を蓄えるようになり、ヲヲヤケを蔑ろにする尊大な振る舞いが目立つようになりました。子のクシヒコはそれを見かね職を辞する覚悟で諫言しますが、父の心には届きませんでした。
やがて、ヲヲヤケはオホナムチの行動を看過すべきではないと判断し、イツモに対して度々詰問の使者を遣わします。しかし、詰問に赴いたカミ達が次々とオホナムチに懐柔され、イツモに留まってしまいました。その中にはアマテルカミの御子息も含まれるという始末。そして不穏な空気が漂う中、事態はついに最悪の方向へと進みます。
懐柔されたカミのひとりが、状況を確かめにきたヲヲヤケの使者に対して矢を放ち、あろうことか殺害してしまったのです。
オホナムチはアマテルの弟であるソサノヲの息子で、つまりアマカミの甥子でもある実力者です。そのような人物の身勝手をこのまま放置しておけば、全国にその混乱が波及しかねません。折しもこの事件の数年前には、ハタレというヲヲヤケを蔑ろにする者共の大規模な叛乱が起こったばかり。アマカミたちは合議の末、最終的には武力行使をもやむを得ないという判断を下します。そして組織されたのが、フツヌシとタケミカツチの親子を中心とするカシマタチという軍隊でした。
右のトミを解任するという前代未聞の使命を委ねられたカシマタチ。ヲヲヤケを護るという使命を帯び、武勇の誉れ高いフツヌシとタケミカツチという偉丈夫に率いられたカシマタチの軍勢が、雄大に規律正しく粛々と進む様が目に浮かびます。
当時、イツモのクニの政治の中心地はキツキと呼ばれていました。この話の舞台である島根県の出雲大社の古代からの呼び名が、杵築(キツキ)大社であるということをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
キツキのミヤの前方に陣取り、咳ひとつ立てずに整然と立ち並ぶカシマタチの軍勢。そしてそれを率いてきたトミが、フツヌシとタケミカツチというヲヲヤケに参集する多くのトミの中でも群を抜いて武勇に優れた親子であるのを知り、幾度に及ぶ詰問の使者の来訪によっても自分らの非を鑑みることのできなかったオホナムチとイツモのトミたちは、事態を飲み込むことが出来ずに狼狽したことでしょう。
そこに追い打ちをかけるように、タケミカツチの大音声が響きます。
ミホコリテ アサムクミチオ
ナラサント ワレラツカフソ
ソノココロ ママヤイナヤヤ
タケミカツチがオホナムチにその心根を問う場面です。カシマタチに従うという返答、つまりヲヲヤケを尊重する考え方に同意する返答を「ママ」、そうではない返答を「イナ」と表現しています。
タケミカツチは度々の詰問にも応じなかったオホナムチに対し、最後にもう一度考え直す機会を与えたのでした。
「オホナムチよ、己らの功績ばかりを誇りに思い尊いとする其方の所行は、果たしてヲヲヤケに通じるものなのか?もう一度己の心に問い直してみよ。」
ヲヲヤケとはつまり、列島に住む住民達の生活基盤そのものと、それを護り円滑に運営する組織、共同体のことを示していると考えます。
この当時は、現在のような貨幣中心の経済ではありません。生活の基盤は農業です。食糧をどれだけ安定して収穫することが出来るかが、豊かさの尺度になることはもとより、生存にも直接的に関わって来ます。
考古学を絡めた多方面の研究の成果からも、縄文人達が食糧の殆どを植物性資源に頼っていたということ、つまり定住農耕を行っていたということが近年ではかなり有力な説となっている、という認識を私はもっています。
例えば、安定同位体分析法という、古人骨の成分から当時食べられていた食糧を探り出す手法があります。この手法を使った南川雅男氏の研究によれば、北海道を除いた本州以南の地域における縄文人達の肉食の割合(魚類を含む)は総じて低く、その割合は2割程度に留まっているといいます。サケやマスといった川魚等が多く獲れる東北地方であっても、この結果は変わらないそうです。
川魚に限らず、彼らがイノシシやシカ等の動物を捕獲し、その骨や皮を利用して様々な道具や衣類などの生活用品や装身具を作っていたことは、遺跡から発掘される遺物から明らかです。つまり、捕獲することが可能であり、実際に捕獲していた動物を、彼らは食糧源としていなかったことになります。
この他にも、縄文人の虫歯の割合から当時の食糧事情を分析する方法など、様々な検証方法によって、彼らが植物性資源を重要視していた根拠が発表されています。
これらのことからも、彼らにとって植物性資源を獲得するための農業がどれほど大切なものであったかが窺えます。
つまり、農業に関わる全てのこと。耕作地を確保するために野山を切り開く土木工事を行うことに始まり、開墾に必要な川の水を丘陵地や平地へと張りめぐらせる灌漑工事を行うこと。それらを通じて出来上がった田畑を開墾し、協力して実り多き収穫を目指すこと。そして、それらの共同作業を円滑に行うための秩序を守ること。最後に、これらの共同作業を通じて得られる富を独占することなく、広く普及させること。それこそが、農が経済の中心であったこの時代における、自然の摂理に則した政治であり、ヲヲヤケであると考えます。
その思想体系の中心に、自然世界そのものであるアメノミヲヤという慈恵し感謝すべき大先祖が存在し、その自然世界の摂理から生じるメグミを、普く人々に及ばせ分配するヲヲヤケの中心として、アマカミが存在しました。そして、アマカミの意向を汲み、アマカミと共にタミを指導し助ける役割をもっていたのがトミでしたが、その多くのトミの中でもアマカミを輔弼する特に重要な役割を担っていたのが、左のトミと右のトミでした。

もう一度、マの図象をご覧下さい。アマカミと左右のトミによって政治の中心をまとめるというこの仕組みは、マのヲシテの図象にも重なります。左右を結ぶ横棒の中央にアマカミが、左右の両端にはアマカミを輔弼する特別なトミが2人。中央のアマカミの下には数多のタミと生活の基盤となるクニがあるのです。
また、アマカミ達がマツリゴトを執るヲヲヤケの中心とされた場所を、タカマと呼びました。記紀神話では高天原と訳され、天上世界にあるとされ説明不能の場所とされてしまった言葉です。
ヒトは自然の枠組みの中でしか生きて行けません。であるからこそ、ヒトの作り出す仕組であるヲヲヤケも、自然の枠組みから逸脱した不自然なものであってはならないはずなのです。それを私たちの祖先はこの当時から知悉していたのでしょう。
オホナムチの政治手腕は、同調するカミが大勢現れるほどに眼を見張る物であり、その人望は篤く、多くの人に慕われていたのは確かです。しかし、その視野は狭く、広くヲヲヤケを俯瞰することが出来ずに、己のクニばかりを富ませてしまい、一所に財や富を集め分配に偏りを生じさせるマツリゴトをとってしまった。それはヲヲヤケの循環に滞りを生じさせることとなり、自然の摂理に反することでした。
自然の摂理に内包された循環体系の維持こそヲヲヤケの機能であり、そのヲヲヤケの機能を調え護ることがアマカミやトミに求められる役割であるにも関わらず、右のトミという国家の重鎮としての立場に加えて一国を預かる身でありながらも、その精神を忘れヲヲヤケを蔑ろにするなど、許されざることであったのです。
しかし残念なことに、オホナムチはタケミカツチの問いかけの本意を理解出来ず、即座に返答することができませんでした。そして、諫言が聞き入れられなかったことで、職を辞し隠棲していた子のクシヒコに、使者を遣わして意見を求めます。クシヒコは父に、ヲヲヤケの存在意義を諭し、己の処遇をヲヲヤケに委ねて速やかにイツモから手を引き、ミヤコのアマカミの元で蟄居謹慎することを勧めました。クシヒコに諭されたオホナムチは、カシマタチに従い、イツモを離れます。後世、国譲りの神話として、征服の物語へと改竄された事件の顛末です。
アマカミの膝元に留まり、やがて謹慎を解かれたオホナムチは、イツモ時代のトミ達を率いて東北地方のアソへの地へ赴任することを許されました。アソへの地名は、オホナムチの開発を経た後に、ツカルへと改名されていますが、その正確な由来をヲシテ文献の記述から演繹することは、情報量が少ないため困難です。しかし、その名前(名前に使われている文字)と、オホナムチの開発が成功した後に改名されたことから類推するに、ツカルは活力に満ちたとても豊かなクニであったことが窺えます。
環境の全く違う新しい赴任先でも見事に開発を成し遂げたオホナムチは、限られた人物にしか名乗る事が許されなかったキミという尊称までいただき、往年はカルキミヲキナとも呼ばれ、東北地方にミヤを構えた9代目アマカミのオシホミミの元にも度々参上していたようです。そのやり取りの中で、オホナムチはイツモ時代の自分の愚かさにようやく気付き、涙を流すのですが…オホナムチはとてつもなく前向きで大らか、或る意味では鈍感、そして主観性と思い込みの非常に強い傾向のある人物だったのかも知れませんね。とにかく多感で気性が難しく、両親、兄や姉までも散々に困らせた、父のソサノヲとは一見対照的な性格のようですが、頑な所などはそっくりで興味深いです。
また、オホナムチはイツモからアソへ(ツカル)にクニを遷し、ヲヲヤケより委ねられた開発を見事に成し遂げたことによって、ウツシクニタマという称え名でも呼ばれています。この往古の記憶を留めるように、青森県の岩木山には宇都志国魂命(ウツシクニタマノミコト)を主祭神として祭る古社、岩木山神社が鎮座しています。
これは全くの余談で単なる思いつきですが、一説によると島根県の訛と青森県津軽地方の訛が似ているというのも、オホナムチのクニ遷しに関係しているのかも知れませんね。

さて、ヲシテの図象から推測できる「ママ」という言葉の本質は、自然の摂理に内包された循環に則ってひとつの答えを導きだすという意味から来ており、それ故にヲヲヤケを尊重するという考え方にも転じているのでした。
政治を意味するマツリコトという言葉や、祖先や偉人の功績を称えて一所にまとめる意味のマツルという言葉、ヲヲヤケのマツリゴトの中心を意味するタカマという言葉や、真実や真理を意味するマコトという言葉にも「マ」という文字が組み込まれているのは、それらの全てが、自然摂理による循環を経てひとつにまとまったエネルギーに関係していることに由来しているようです。
他にも興味深い言葉は尽きません。左右両方の手のことをマテと呼ぶのも、両手を使うことによって片方ずつの手で何かの作業をするのに比べて、強くてまとまったエネルギーを発揮できるからでしょうし、今その瞬間のことをイマというのも、変遷し動き続ける循環の中でひと紡ぎになった瞬間というように、時間をまとまったエネルギーとして捉えているからでしょう。
この辺りのことを理解しようとせずに安易に現代語訳を進めてしまうと、群れ集りタミから奪う者共であるハタレの大群のことを意味するハタレマという言葉のマを、随分時代が下って来てから外来した悪魔や魔物などと殆ど同意義に捉えて「魔」と訳してしまったりするのです。これも酷い誤訳のひとつです。
このハタレマのマも、膨大な語彙の用例とヲシテ図象の検証結果によって考察すれば、自然の中で寄り集りひとつの方向性をもって集団を為した者共のことを指して「マ」と呼んでいる、と考えられるのです。
つまり、マ行の図象は、自然摂理による循環の中でひとつにまとまって然るべきエネルギーが、ひと紡ぎのエネルギーとなって表出する概念であると考えられます。
次回はようやくタマの意味について触れたいと思います。多忙につき、相変わらず更新日時は未定です。
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『マ』のヲシテ。
マという文字が使われている言葉で、私が長い間興味を惹かれているひとつの言葉があります。それは「ママ」という言葉です。この言葉は、ホツマツタヱの10アヤに用例があります。
10アヤの表題は「カシマタチ ツリタイノアヤ」といい、オホナムチという重臣とその周辺のトミ達の慢心が発端となり、ヲヲヤケの調和に大きな乱れが生じようとした為に、オホナムチとそのトミ達がイツモから更迭されるに至った経緯について、主に記されています。
文献中でオホナムチは「オホナムチ」と呼ばれている場合と「オオナムチ」と呼ばれている場合があります。「オホナムチ」はホツマツタヱ前半のアヤに用例が多く、「オオナムチ」はホツマツタヱ中盤のアヤに用例が多いという明確な特徴があり、この使い分けにも当然のことながら意味があると私は考えています。この事件は前半に位置するので、ここではオホナムチと統一して書いてゆくことにします。
さて、そのオホナムチですがイミナ(生まれた時につける名前)をクシキネと言い、8代目アマカミ・アマテルの弟ソサノヲの子という出自で、アマカミの血筋にかなり近い人物でありました。幼い頃、気性の激しかった父のソサノヲと対照的に、オホナムチは穏やかで優しい温和な性格であったようです。成長し、政治に携わるようになったオホナムチは、北陸地方や山陰地方の開発に卓越した政治手腕を発揮し実績を上げたことに、その人柄の優れていることも加わり、並々成らぬ人望を集めていたであろうと推測できます。
やがて、その実績を認められ、アマカミを輔弼し軍事や刑罰を主に司る役職である右のトミに任じられたオホナムチは、イツモのクニの政治をも任されることとなりました。オホナムチは、新しい赴任先のイツモのクニでもその政治手腕を遺憾なく発揮し、イツモのクニは多くの食糧備蓄を蓄えられるほどに豊かさを称え、災害などによる食糧難に見舞われることがあっても、民が餓え苦しむことは少なくなりました。
しかし、その政治手腕と人望こそが災いの種となってしまいました。己の力を過信して慢心が目立つようになったオホナムチは、備蓄と言うには余有る過剰な富を蓄えるようになり、ヲヲヤケを蔑ろにする尊大な振る舞いが目立つようになりました。子のクシヒコはそれを見かね職を辞する覚悟で諫言しますが、父の心には届きませんでした。
やがて、ヲヲヤケはオホナムチの行動を看過すべきではないと判断し、イツモに対して度々詰問の使者を遣わします。しかし、詰問に赴いたカミ達が次々とオホナムチに懐柔され、イツモに留まってしまいました。その中にはアマテルカミの御子息も含まれるという始末。そして不穏な空気が漂う中、事態はついに最悪の方向へと進みます。
懐柔されたカミのひとりが、状況を確かめにきたヲヲヤケの使者に対して矢を放ち、あろうことか殺害してしまったのです。
オホナムチはアマテルの弟であるソサノヲの息子で、つまりアマカミの甥子でもある実力者です。そのような人物の身勝手をこのまま放置しておけば、全国にその混乱が波及しかねません。折しもこの事件の数年前には、ハタレというヲヲヤケを蔑ろにする者共の大規模な叛乱が起こったばかり。アマカミたちは合議の末、最終的には武力行使をもやむを得ないという判断を下します。そして組織されたのが、フツヌシとタケミカツチの親子を中心とするカシマタチという軍隊でした。
右のトミを解任するという前代未聞の使命を委ねられたカシマタチ。ヲヲヤケを護るという使命を帯び、武勇の誉れ高いフツヌシとタケミカツチという偉丈夫に率いられたカシマタチの軍勢が、雄大に規律正しく粛々と進む様が目に浮かびます。
当時、イツモのクニの政治の中心地はキツキと呼ばれていました。この話の舞台である島根県の出雲大社の古代からの呼び名が、杵築(キツキ)大社であるということをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
キツキのミヤの前方に陣取り、咳ひとつ立てずに整然と立ち並ぶカシマタチの軍勢。そしてそれを率いてきたトミが、フツヌシとタケミカツチというヲヲヤケに参集する多くのトミの中でも群を抜いて武勇に優れた親子であるのを知り、幾度に及ぶ詰問の使者の来訪によっても自分らの非を鑑みることのできなかったオホナムチとイツモのトミたちは、事態を飲み込むことが出来ずに狼狽したことでしょう。
そこに追い打ちをかけるように、タケミカツチの大音声が響きます。
ミホコリテ アサムクミチオ
ナラサント ワレラツカフソ
ソノココロ ママヤイナヤヤ
タケミカツチがオホナムチにその心根を問う場面です。カシマタチに従うという返答、つまりヲヲヤケを尊重する考え方に同意する返答を「ママ」、そうではない返答を「イナ」と表現しています。
タケミカツチは度々の詰問にも応じなかったオホナムチに対し、最後にもう一度考え直す機会を与えたのでした。
「オホナムチよ、己らの功績ばかりを誇りに思い尊いとする其方の所行は、果たしてヲヲヤケに通じるものなのか?もう一度己の心に問い直してみよ。」
ヲヲヤケとはつまり、列島に住む住民達の生活基盤そのものと、それを護り円滑に運営する組織、共同体のことを示していると考えます。
この当時は、現在のような貨幣中心の経済ではありません。生活の基盤は農業です。食糧をどれだけ安定して収穫することが出来るかが、豊かさの尺度になることはもとより、生存にも直接的に関わって来ます。
考古学を絡めた多方面の研究の成果からも、縄文人達が食糧の殆どを植物性資源に頼っていたということ、つまり定住農耕を行っていたということが近年ではかなり有力な説となっている、という認識を私はもっています。
例えば、安定同位体分析法という、古人骨の成分から当時食べられていた食糧を探り出す手法があります。この手法を使った南川雅男氏の研究によれば、北海道を除いた本州以南の地域における縄文人達の肉食の割合(魚類を含む)は総じて低く、その割合は2割程度に留まっているといいます。サケやマスといった川魚等が多く獲れる東北地方であっても、この結果は変わらないそうです。
川魚に限らず、彼らがイノシシやシカ等の動物を捕獲し、その骨や皮を利用して様々な道具や衣類などの生活用品や装身具を作っていたことは、遺跡から発掘される遺物から明らかです。つまり、捕獲することが可能であり、実際に捕獲していた動物を、彼らは食糧源としていなかったことになります。
この他にも、縄文人の虫歯の割合から当時の食糧事情を分析する方法など、様々な検証方法によって、彼らが植物性資源を重要視していた根拠が発表されています。
これらのことからも、彼らにとって植物性資源を獲得するための農業がどれほど大切なものであったかが窺えます。
つまり、農業に関わる全てのこと。耕作地を確保するために野山を切り開く土木工事を行うことに始まり、開墾に必要な川の水を丘陵地や平地へと張りめぐらせる灌漑工事を行うこと。それらを通じて出来上がった田畑を開墾し、協力して実り多き収穫を目指すこと。そして、それらの共同作業を円滑に行うための秩序を守ること。最後に、これらの共同作業を通じて得られる富を独占することなく、広く普及させること。それこそが、農が経済の中心であったこの時代における、自然の摂理に則した政治であり、ヲヲヤケであると考えます。
その思想体系の中心に、自然世界そのものであるアメノミヲヤという慈恵し感謝すべき大先祖が存在し、その自然世界の摂理から生じるメグミを、普く人々に及ばせ分配するヲヲヤケの中心として、アマカミが存在しました。そして、アマカミの意向を汲み、アマカミと共にタミを指導し助ける役割をもっていたのがトミでしたが、その多くのトミの中でもアマカミを輔弼する特に重要な役割を担っていたのが、左のトミと右のトミでした。

もう一度、マの図象をご覧下さい。アマカミと左右のトミによって政治の中心をまとめるというこの仕組みは、マのヲシテの図象にも重なります。左右を結ぶ横棒の中央にアマカミが、左右の両端にはアマカミを輔弼する特別なトミが2人。中央のアマカミの下には数多のタミと生活の基盤となるクニがあるのです。
また、アマカミ達がマツリゴトを執るヲヲヤケの中心とされた場所を、タカマと呼びました。記紀神話では高天原と訳され、天上世界にあるとされ説明不能の場所とされてしまった言葉です。
ヒトは自然の枠組みの中でしか生きて行けません。であるからこそ、ヒトの作り出す仕組であるヲヲヤケも、自然の枠組みから逸脱した不自然なものであってはならないはずなのです。それを私たちの祖先はこの当時から知悉していたのでしょう。
オホナムチの政治手腕は、同調するカミが大勢現れるほどに眼を見張る物であり、その人望は篤く、多くの人に慕われていたのは確かです。しかし、その視野は狭く、広くヲヲヤケを俯瞰することが出来ずに、己のクニばかりを富ませてしまい、一所に財や富を集め分配に偏りを生じさせるマツリゴトをとってしまった。それはヲヲヤケの循環に滞りを生じさせることとなり、自然の摂理に反することでした。
自然の摂理に内包された循環体系の維持こそヲヲヤケの機能であり、そのヲヲヤケの機能を調え護ることがアマカミやトミに求められる役割であるにも関わらず、右のトミという国家の重鎮としての立場に加えて一国を預かる身でありながらも、その精神を忘れヲヲヤケを蔑ろにするなど、許されざることであったのです。
しかし残念なことに、オホナムチはタケミカツチの問いかけの本意を理解出来ず、即座に返答することができませんでした。そして、諫言が聞き入れられなかったことで、職を辞し隠棲していた子のクシヒコに、使者を遣わして意見を求めます。クシヒコは父に、ヲヲヤケの存在意義を諭し、己の処遇をヲヲヤケに委ねて速やかにイツモから手を引き、ミヤコのアマカミの元で蟄居謹慎することを勧めました。クシヒコに諭されたオホナムチは、カシマタチに従い、イツモを離れます。後世、国譲りの神話として、征服の物語へと改竄された事件の顛末です。
アマカミの膝元に留まり、やがて謹慎を解かれたオホナムチは、イツモ時代のトミ達を率いて東北地方のアソへの地へ赴任することを許されました。アソへの地名は、オホナムチの開発を経た後に、ツカルへと改名されていますが、その正確な由来をヲシテ文献の記述から演繹することは、情報量が少ないため困難です。しかし、その名前(名前に使われている文字)と、オホナムチの開発が成功した後に改名されたことから類推するに、ツカルは活力に満ちたとても豊かなクニであったことが窺えます。
環境の全く違う新しい赴任先でも見事に開発を成し遂げたオホナムチは、限られた人物にしか名乗る事が許されなかったキミという尊称までいただき、往年はカルキミヲキナとも呼ばれ、東北地方にミヤを構えた9代目アマカミのオシホミミの元にも度々参上していたようです。そのやり取りの中で、オホナムチはイツモ時代の自分の愚かさにようやく気付き、涙を流すのですが…オホナムチはとてつもなく前向きで大らか、或る意味では鈍感、そして主観性と思い込みの非常に強い傾向のある人物だったのかも知れませんね。とにかく多感で気性が難しく、両親、兄や姉までも散々に困らせた、父のソサノヲとは一見対照的な性格のようですが、頑な所などはそっくりで興味深いです。
また、オホナムチはイツモからアソへ(ツカル)にクニを遷し、ヲヲヤケより委ねられた開発を見事に成し遂げたことによって、ウツシクニタマという称え名でも呼ばれています。この往古の記憶を留めるように、青森県の岩木山には宇都志国魂命(ウツシクニタマノミコト)を主祭神として祭る古社、岩木山神社が鎮座しています。
これは全くの余談で単なる思いつきですが、一説によると島根県の訛と青森県津軽地方の訛が似ているというのも、オホナムチのクニ遷しに関係しているのかも知れませんね。

さて、ヲシテの図象から推測できる「ママ」という言葉の本質は、自然の摂理に内包された循環に則ってひとつの答えを導きだすという意味から来ており、それ故にヲヲヤケを尊重するという考え方にも転じているのでした。
政治を意味するマツリコトという言葉や、祖先や偉人の功績を称えて一所にまとめる意味のマツルという言葉、ヲヲヤケのマツリゴトの中心を意味するタカマという言葉や、真実や真理を意味するマコトという言葉にも「マ」という文字が組み込まれているのは、それらの全てが、自然摂理による循環を経てひとつにまとまったエネルギーに関係していることに由来しているようです。
他にも興味深い言葉は尽きません。左右両方の手のことをマテと呼ぶのも、両手を使うことによって片方ずつの手で何かの作業をするのに比べて、強くてまとまったエネルギーを発揮できるからでしょうし、今その瞬間のことをイマというのも、変遷し動き続ける循環の中でひと紡ぎになった瞬間というように、時間をまとまったエネルギーとして捉えているからでしょう。
この辺りのことを理解しようとせずに安易に現代語訳を進めてしまうと、群れ集りタミから奪う者共であるハタレの大群のことを意味するハタレマという言葉のマを、随分時代が下って来てから外来した悪魔や魔物などと殆ど同意義に捉えて「魔」と訳してしまったりするのです。これも酷い誤訳のひとつです。
このハタレマのマも、膨大な語彙の用例とヲシテ図象の検証結果によって考察すれば、自然の中で寄り集りひとつの方向性をもって集団を為した者共のことを指して「マ」と呼んでいる、と考えられるのです。
つまり、マ行の図象は、自然摂理による循環の中でひとつにまとまって然るべきエネルギーが、ひと紡ぎのエネルギーとなって表出する概念であると考えられます。
次回はようやくタマの意味について触れたいと思います。多忙につき、相変わらず更新日時は未定です。
【続きを隠す】
少し時間に余裕が取れましたので、予告していた記事を書いて行きたいと思いますが、ヲシテ文献から演繹できるタマという言葉の意味について書く前に、ヲシテはヲシテ1文字1文字で読まなければならないという原則から、少し遠回りして、ヲシテ文献に記されている歴史や、タという文字が含まれている言葉の用例を、幾つか例を挙げながら書いてゆきたいと思います。
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往古、私たちの祖先は卓越した航海技術によって、大海原を縦横無尽に駆け巡っていたことが、全国各地の遺跡から出土する遺物によってわかっています。
航海術の基礎となるのは、自然世界の観察、空間把握であるのは言うまでもありません。方位方角などの普遍的原則に加えて、季節毎に変化する気象、潮流などの自然条件を把握していなければ、安全な航海は出来ません。
つまり、必然的に、彼らの一部は、自然の摂理を熟知していたことになります。
太陽や月、夜空に輝く星々の動き、潮の流れの変化、風の動きなど、数多ある様々な自然現象をつぶさに観察し、そこから得られた知識と経験を蓄積し、子々孫々へ大切に承継していったのでしょう。
ヲシテ文献の記述によれば、彼らは方角を明確に8つに区切り、季節の変遷も同様に8つに区切っています。トホカミヱヒタメという言葉が、その8つにあたります。季節の変遷という時間軸と、方角という空間把握を同じ言葉で表現していることは特筆すべき点で、非常に重要ですが、ここでは詳しくは扱いません。
ト 南 5月中旬 〜 7月初旬 夏至
ホ 北東 7月初旬 〜 8月中旬
カ 西 8月中旬 〜 10月初旬 秋分
ミ 南東 10月初旬 〜 11月中旬
ヱ 北 11月中旬 〜 1月初旬 冬至
ヒ 南西 1月初旬 〜 2月中旬
タ 東 2月中旬 〜 4月初旬 春分
メ 北西 4月初旬 〜 5月中旬
季節に関しては、これをまた大きく4つに分け、ハル、ナツ、アキ、フユと現代日本語と同じ呼び方をしています。また、ヲシテ文献には春分、秋分等を正確に把握していたと理解できる記述などがあり、太陽の運行だけをとっても、かなり精緻な知識を備えていたことがわかります。
方角に関しては、「キツヲサネ」というように、東西中央南北の5つの別称が記されています。それに加えて、ヒカシ、ニシ、ナカ、ミナミ、キタ、と現代日本語と同じ呼び方もしています。
さて、このトホカミヱヒタメという言葉ですが、歴史書であるヲシテ文献を読み解く上で、非常に重要な言葉です。脱線しますが、少しだけそのことに触れてみます。
アメノミヲヤのヒトイキによって世界が始まり、やがてこの地球上に、人類最初のヒトであるミナカヌシが誕生し、各地でその数を増やしていきました。
日本列島も例外ではなく、列島に暮らすミナカヌシの子孫たちがいました。時が流れ、その集団の中心となり、人々の生活に大きく影響を与える人物が出現しました。その人物は、トノヲシヱという統治理念を掲げ、住環境の改善、食糧に適した樹木の選定を行い、安定した食糧の供給を実現、人々の生活水準を飛躍的に向上させることに成功しました。そしていつからか、その人物はクニトコタチと呼ばれるようになりました。この、クニトコタチという尊称で呼ばれた人物こそが、初代のアマカミであり建国の祖であるとヲシテ文献には記されています。
クニトコタチは、現滋賀県であるヲウミ、つまり琵琶湖周辺を根拠地としていたようです。(この場所が、クニトコタチの生まれ育った場所であったか、為政者として開眼した後に根拠地として定めた場所であったかなどについては、詳細な記述がないのでわかりません。)
このクニトコタチという人物が中心となって成立したクニを、トコヨクニと呼びました。大雑把で乱暴な言い方をすると、トノヲシヱによってまとまったクニというのが、その由来です。しかし、記紀ではこれを常世国と漢字訳しており、その意味を、天上世界にある架空の国といったような解釈をしています。完全な誤訳です。
また、クニトコタチの時代は長く続いたようで、その尊称は代々襲名制であったことが推測できます。
やがて、トコヨクニの政治が安定した頃でしょうか、その当時のクニトコタチが何代目であったか詳細はわかりませんが、クニトコタチは子の中から指導者に相応しい8人を選び、各地に派遣します。その8人はトコヨクニ以前から培われた様々な技術を携えて、日本列島各地に散らばり、クニトコタチの教えを広めました。この8人の子が、ヤモヤクタリノミコ。トホカミヱヒタメの8人です。
そして、8人のミコのうちヱのミコが、クニトコタチの跡を継ぎ、ヲウミ一帯を治めました。そして、クニトコタチの跡を継いだミコを、クニサツチと呼んだということが記されています。
クニトコタチよりヲウミ一帯を引継いだヱノクニサツチの後は、カクヤマ(現、富士山)周辺にミヤを構えていた弟のトのミコが継ぎ、それ以降はヱのミコの家系と、トのミコの家系とで、代わる代わるに世を継いで行ったということが記されています。こうして、クニサツチの時代も長く続くこととなります。代わる代わるに世を継ぐという記述から、クニサツチという尊称も、クニトコタチ同様に襲名制であったことが推察できます。
このように、クニの中心となるアマカミの尊称がクニトコタチと呼ばれていた頃を第一世代のアマカミの時代、クニトコタチからクニサツチという新しい尊称で呼ばれることとなった時代以降を、第2世代のアマカミの時代と定義することができるでしょう。
さて、8人のミコのうち後継に選ばれなかった6人のミコたちはどうなったのか。ヲウミを継いだヱのミコ、カクヤマ周辺にミヤを構えたトのミコ、西の方角へ渡ったカのミコ、東北地方広範を治めたタのミコ、この4人以外のミコについては、どのあたりを根拠地と定めたかなど、その後の消息も含めて詳しいことがわかりません。
東北地方広範を治めていたタのミコは、クニトコタチの後継には選ばれなかったものの、特別な場所にしか植える事の許されなかったコヨミの象徴である、マサカキという樹木を植えることを許されていました。この、タのミコが治めていた東北地方広範のクニを、ヒタカミと言います。
そして、タのミコの血筋からは、トヨケという偉大な為政者が輩出されます。ヒカシノキミと称えられたトヨケは、イサナミ(7代目アマカミ)の父であり、アマテル(8代目アマカミ)の祖父です。また、ヒタカミのクニを治めた為政者のことを、いつからかタカミムスヒという尊称で呼ぶようになり、トヨケはその5代目でした。
タのミコまで話しが進んだ所で、元の話題に戻ります。

『タ』のヲシテ
さて、方角では東、季節では春を意味するタの文字についての説明ですが、ホツマツタヱの17アヤに「タノヲシテ ミヒカリマルノ ウチニイリ」、つまり「タのヲシテは、3本の光が丸の中心に集ってくる…」という一節があります。17アヤは、ヤタノカガミの由来等について記された難解な箇所です。3本の光と形容されているのが、タ行の子音です。丸とはマルで、つまりウツホ態、アの母音のことを言っています。ウツホ態が原初的、根源的なエネルギーを秘めた概念であることについては、マトカの言葉の考察の所で少し書きました。全ての根源であるアメノミヲヤの略称がアであるということも、矛盾がありません。
なるほど、しかしこの箇所だけでは、何のことやらよくわかりません。この箇所だけを切り取ってみると、字形の説明を為しているように見えますが、前後の文脈を読むと、それだけではないことがわかります。興味のある方は、ホツマツタヱ17アヤを読んでいただければ良いかと思います。
さて、理解を先に進めるために、数多ある実際の用例について考察が進んでいますが、その中から幾つかの言葉について、簡潔に書いてみます。
タスという言葉があります。これは、新たに付加するという意味の言葉です。つまり、足し算の「足す」です。足すとは、個数の増加、質量の増加、つまりその本質はエネルギーが増えることであり、複数の概念を一箇所に集るイメージに違いありません。
また、人々をまとめ、集団間の活動を指導してゆくことの意味としても、タスという言葉が使われています。「養す」という意味の使い方です。
ヲシテ文献では、生命が尽きることをマカル、カル、カレル等と表現しています。これは簡単に言うと、体内から輝きが放出されることによって生命活動が終焉するという考え方を意味しています。つまり、光のような概念が人に内在していて、生命活動が終焉するとそれが流出してゆく、というような考え方をしています。
光を内在した、人という概念が、ある特定の場所に集うイメージや、人々というエネルギー体が一所に集り、そのエネルギーをひとつに収束させるといったようなイメージができます。
また、タスから派生したとも取れる言葉に、タスクやタスケという言葉があります。助力する、力を貸す、力を合わせるという意味の言葉です。この言葉も、ある一箇所にエネルギーを収束させ増加させること、と解釈できます。
他にも多くの例がありますが、もう少しだけ挙げてみます。
ハタとタ。様々な作物を栽培育成する畑と、主として穀物類を栽培育成する水田のことです。現代人同様に、彼らもこの2つを区別しています。
ハはハ(葉)、ハツ(初)、ハシマリ(始まり)など、新たな概念の発生と発展、様々な可能性を意味して使われることが多いです。ハについては、今回は主題ではないので、この程度に留めておきます。つまり、種類を問わず様々な作物を栽培するのが畑であり、穀物類という特定の作物を栽培するのが田だと考えられます。
ハタと言えば、織物のこともハタと言います。織物は様々な糸をより集めて織り上げた布のことです。織物を構成するイトという言葉も、タ行を含む言葉ですね。糸は細かな繊維を紡ぎ合わせたものです。
このように、タのヲシテに使われている3本の線が中心に集るという図象には、「一所にいくつかのエネルギーを収束してまとめあげる」という哲学が内包されていると考えられます。
少し長くなりましたので、ここで一端切ります。
【続きを隠す】
航海術の基礎となるのは、自然世界の観察、空間把握であるのは言うまでもありません。方位方角などの普遍的原則に加えて、季節毎に変化する気象、潮流などの自然条件を把握していなければ、安全な航海は出来ません。
つまり、必然的に、彼らの一部は、自然の摂理を熟知していたことになります。
太陽や月、夜空に輝く星々の動き、潮の流れの変化、風の動きなど、数多ある様々な自然現象をつぶさに観察し、そこから得られた知識と経験を蓄積し、子々孫々へ大切に承継していったのでしょう。
ヲシテ文献の記述によれば、彼らは方角を明確に8つに区切り、季節の変遷も同様に8つに区切っています。トホカミヱヒタメという言葉が、その8つにあたります。季節の変遷という時間軸と、方角という空間把握を同じ言葉で表現していることは特筆すべき点で、非常に重要ですが、ここでは詳しくは扱いません。
ト 南 5月中旬 〜 7月初旬 夏至
ホ 北東 7月初旬 〜 8月中旬
カ 西 8月中旬 〜 10月初旬 秋分
ミ 南東 10月初旬 〜 11月中旬
ヱ 北 11月中旬 〜 1月初旬 冬至
ヒ 南西 1月初旬 〜 2月中旬
タ 東 2月中旬 〜 4月初旬 春分
メ 北西 4月初旬 〜 5月中旬
季節に関しては、これをまた大きく4つに分け、ハル、ナツ、アキ、フユと現代日本語と同じ呼び方をしています。また、ヲシテ文献には春分、秋分等を正確に把握していたと理解できる記述などがあり、太陽の運行だけをとっても、かなり精緻な知識を備えていたことがわかります。
方角に関しては、「キツヲサネ」というように、東西中央南北の5つの別称が記されています。それに加えて、ヒカシ、ニシ、ナカ、ミナミ、キタ、と現代日本語と同じ呼び方もしています。
さて、このトホカミヱヒタメという言葉ですが、歴史書であるヲシテ文献を読み解く上で、非常に重要な言葉です。脱線しますが、少しだけそのことに触れてみます。
アメノミヲヤのヒトイキによって世界が始まり、やがてこの地球上に、人類最初のヒトであるミナカヌシが誕生し、各地でその数を増やしていきました。
日本列島も例外ではなく、列島に暮らすミナカヌシの子孫たちがいました。時が流れ、その集団の中心となり、人々の生活に大きく影響を与える人物が出現しました。その人物は、トノヲシヱという統治理念を掲げ、住環境の改善、食糧に適した樹木の選定を行い、安定した食糧の供給を実現、人々の生活水準を飛躍的に向上させることに成功しました。そしていつからか、その人物はクニトコタチと呼ばれるようになりました。この、クニトコタチという尊称で呼ばれた人物こそが、初代のアマカミであり建国の祖であるとヲシテ文献には記されています。
クニトコタチは、現滋賀県であるヲウミ、つまり琵琶湖周辺を根拠地としていたようです。(この場所が、クニトコタチの生まれ育った場所であったか、為政者として開眼した後に根拠地として定めた場所であったかなどについては、詳細な記述がないのでわかりません。)
このクニトコタチという人物が中心となって成立したクニを、トコヨクニと呼びました。大雑把で乱暴な言い方をすると、トノヲシヱによってまとまったクニというのが、その由来です。しかし、記紀ではこれを常世国と漢字訳しており、その意味を、天上世界にある架空の国といったような解釈をしています。完全な誤訳です。
また、クニトコタチの時代は長く続いたようで、その尊称は代々襲名制であったことが推測できます。
やがて、トコヨクニの政治が安定した頃でしょうか、その当時のクニトコタチが何代目であったか詳細はわかりませんが、クニトコタチは子の中から指導者に相応しい8人を選び、各地に派遣します。その8人はトコヨクニ以前から培われた様々な技術を携えて、日本列島各地に散らばり、クニトコタチの教えを広めました。この8人の子が、ヤモヤクタリノミコ。トホカミヱヒタメの8人です。
そして、8人のミコのうちヱのミコが、クニトコタチの跡を継ぎ、ヲウミ一帯を治めました。そして、クニトコタチの跡を継いだミコを、クニサツチと呼んだということが記されています。
クニトコタチよりヲウミ一帯を引継いだヱノクニサツチの後は、カクヤマ(現、富士山)周辺にミヤを構えていた弟のトのミコが継ぎ、それ以降はヱのミコの家系と、トのミコの家系とで、代わる代わるに世を継いで行ったということが記されています。こうして、クニサツチの時代も長く続くこととなります。代わる代わるに世を継ぐという記述から、クニサツチという尊称も、クニトコタチ同様に襲名制であったことが推察できます。
このように、クニの中心となるアマカミの尊称がクニトコタチと呼ばれていた頃を第一世代のアマカミの時代、クニトコタチからクニサツチという新しい尊称で呼ばれることとなった時代以降を、第2世代のアマカミの時代と定義することができるでしょう。
さて、8人のミコのうち後継に選ばれなかった6人のミコたちはどうなったのか。ヲウミを継いだヱのミコ、カクヤマ周辺にミヤを構えたトのミコ、西の方角へ渡ったカのミコ、東北地方広範を治めたタのミコ、この4人以外のミコについては、どのあたりを根拠地と定めたかなど、その後の消息も含めて詳しいことがわかりません。
東北地方広範を治めていたタのミコは、クニトコタチの後継には選ばれなかったものの、特別な場所にしか植える事の許されなかったコヨミの象徴である、マサカキという樹木を植えることを許されていました。この、タのミコが治めていた東北地方広範のクニを、ヒタカミと言います。
そして、タのミコの血筋からは、トヨケという偉大な為政者が輩出されます。ヒカシノキミと称えられたトヨケは、イサナミ(7代目アマカミ)の父であり、アマテル(8代目アマカミ)の祖父です。また、ヒタカミのクニを治めた為政者のことを、いつからかタカミムスヒという尊称で呼ぶようになり、トヨケはその5代目でした。
タのミコまで話しが進んだ所で、元の話題に戻ります。

『タ』のヲシテ
さて、方角では東、季節では春を意味するタの文字についての説明ですが、ホツマツタヱの17アヤに「タノヲシテ ミヒカリマルノ ウチニイリ」、つまり「タのヲシテは、3本の光が丸の中心に集ってくる…」という一節があります。17アヤは、ヤタノカガミの由来等について記された難解な箇所です。3本の光と形容されているのが、タ行の子音です。丸とはマルで、つまりウツホ態、アの母音のことを言っています。ウツホ態が原初的、根源的なエネルギーを秘めた概念であることについては、マトカの言葉の考察の所で少し書きました。全ての根源であるアメノミヲヤの略称がアであるということも、矛盾がありません。
なるほど、しかしこの箇所だけでは、何のことやらよくわかりません。この箇所だけを切り取ってみると、字形の説明を為しているように見えますが、前後の文脈を読むと、それだけではないことがわかります。興味のある方は、ホツマツタヱ17アヤを読んでいただければ良いかと思います。
さて、理解を先に進めるために、数多ある実際の用例について考察が進んでいますが、その中から幾つかの言葉について、簡潔に書いてみます。
タスという言葉があります。これは、新たに付加するという意味の言葉です。つまり、足し算の「足す」です。足すとは、個数の増加、質量の増加、つまりその本質はエネルギーが増えることであり、複数の概念を一箇所に集るイメージに違いありません。
また、人々をまとめ、集団間の活動を指導してゆくことの意味としても、タスという言葉が使われています。「養す」という意味の使い方です。
ヲシテ文献では、生命が尽きることをマカル、カル、カレル等と表現しています。これは簡単に言うと、体内から輝きが放出されることによって生命活動が終焉するという考え方を意味しています。つまり、光のような概念が人に内在していて、生命活動が終焉するとそれが流出してゆく、というような考え方をしています。
光を内在した、人という概念が、ある特定の場所に集うイメージや、人々というエネルギー体が一所に集り、そのエネルギーをひとつに収束させるといったようなイメージができます。
また、タスから派生したとも取れる言葉に、タスクやタスケという言葉があります。助力する、力を貸す、力を合わせるという意味の言葉です。この言葉も、ある一箇所にエネルギーを収束させ増加させること、と解釈できます。
他にも多くの例がありますが、もう少しだけ挙げてみます。
ハタとタ。様々な作物を栽培育成する畑と、主として穀物類を栽培育成する水田のことです。現代人同様に、彼らもこの2つを区別しています。
ハはハ(葉)、ハツ(初)、ハシマリ(始まり)など、新たな概念の発生と発展、様々な可能性を意味して使われることが多いです。ハについては、今回は主題ではないので、この程度に留めておきます。つまり、種類を問わず様々な作物を栽培するのが畑であり、穀物類という特定の作物を栽培するのが田だと考えられます。
ハタと言えば、織物のこともハタと言います。織物は様々な糸をより集めて織り上げた布のことです。織物を構成するイトという言葉も、タ行を含む言葉ですね。糸は細かな繊維を紡ぎ合わせたものです。
このように、タのヲシテに使われている3本の線が中心に集るという図象には、「一所にいくつかのエネルギーを収束してまとめあげる」という哲学が内包されていると考えられます。
少し長くなりましたので、ここで一端切ります。
【続きを隠す】
私は少し、臆病になっていました。
私達の祖先が私達子孫とこの国の未来の安寧を想い染めあげたこの文献が、私の手を介す事によって生じる可能性のある間違い、思い違い、考えの至らなさ等によってその輝きを損ない、貶めてしまうことを、私は恐れていました。
私達の祖先の叡智と、子々孫々までの安寧を願った想いを歪めてしまうこと、そして歪な形で世間に伝えてしまう可能性について、私は恐れていました。
今も尚生じ続ける、膨大な思考の渦の渾沌の中で、私は混乱し困惑し、そして萎縮してしまっていました。
しかし、
【続きを読む】
最近、私はあまり悲観的に考えるのをやめにしました。
この国には、様々なところで萌しが芽吹き始めていることに、改めて気付いたからです。それは、革命や変革というような類のものではなく、眠っていた記憶を静かに思い出すような…。決して今の状況から未来を楽観視することはできません。しかし、それらの萌しから、希望を強く感じたのです。
私は地方を旅するのが好きです。地方を旅する目的はいくつかありますが、そのひとつが神社の参拝です。地方の神社を参拝するとき、現地に到着してから公共の交通機関を使うことは、あまりありません。地方の公共の交通機関の殆どが死滅していて、使おうにも使えない現状ではありますが、例え使えたとしても、時間の許す範囲内で、出来うる限り歩くことにしています。時には、数10kmの距離を数時間かけて歩くことになります。しかし、そのことを苦痛に思うことは決してありません。歩くことでしか見えてこない景色や雰囲気、そして残された自然と、そこで生活する人々の営みから聴こえてくる音などを感じ、そしてそれらの奏でる音の調べを楽しみながら歩いているからです。
所謂古社と呼ばれる神社には、樹齢数百年を越える巨木が数多く残っています。その巨木の下で、様々な生命達が自然の摂理の中で生命活動を営んでいます。神域の森に囲まれた境内で、私は大きく深呼吸をします。その時、えも言われぬ充足感に満たされるのは、自然の中で生じた生き物達の生命活動の調べに、私の体が共鳴するからでしょう。
私は、そういった自然の摂理の内側にほど近い世界の営みから聴こえる、ささやかな調べの中にこそ、この国を救う希望や暗示が隠されていると思うのです。
世間を覆う拝金主義者や偽善者達の詭弁に惑わされ騙されることなく、氾濫する情報の正邪を見極め、思考を過信することを止め、感覚を全開にし、日々移り変わる自然の動きの有りの侭を受け止め、それぞれがこの国に産まれ生きる自分自身という存在について、改めて考えていただきたい。しっかりと眼を見開いて辺りを見渡せば、この国がまだ光に溢れていることにあなたも気付くことでしょう。私はその光を守り、大きく発展させたい。この暗澹たる現状に、ハル(春)をもたらしたいと思うのです。
現在、ヲシテ文献の研究は新たな局面を向かえています。後に記す諸事情から、私はあまり現在の作業に貢献できておりませんが、皆さまには、研究所による研究の成果の発表をどうぞ心待ちにしていただきたい。私は現在の研究の少し先を見据えつつ、自分の足元を固め、恐縮ながら池田先生が紹介文を書いて下さっているように、縄文哲学を正面突破してヲシテ時代の高度文明、高度な縄文哲学の解明に少しずつ挑みたいと思います。
私は、ヲシテ文献を読むにあたって、全体の内容を把握することよりも、先ずはヲシテの読み書きを始めました。ルビを振らずにヲシテを読めるようにならなければ、話にならないと思ってのことでした。そして、2週間ほどでようやくヲシテをルビなしで扱えるようになり、ヲシテ1文字1文字が私の体に馴染んできた頃、私の前に大きな疑問が立ちはだかりました。この文献がヲシテという特殊な文字で記されている必然という疑問です。
そして、その疑問に少しずつ回答を得るために「ウツホカセホト ミツハニノ」という記事の連載を始めました。池田先生のまとめられた書籍やブログの記事、びーちぇさんの記事などを参照し、それらを自分なりにまとめてみるという方法から始め、それに少しずつ自分なりの解釈、考察を加えてゆくという方法で記事を進めて行くことにしました。
当初から、ゆうに100回は超える膨大な更新回数の記事になるであろうということは予見していましたが、実際手をつけてみると、その読みがどれほど甘いものであったか、身に沁みてわかりました。しかし、書きながら直感的に、私は何かを掴みかけている気がしていました。
そしてついに、私に大きな転換点をもたらした、ひとつの言葉がありました。
それは「マトカ」という言葉でした。
ホ16-11
アメツチイマタ ワカサルニ
ウイノヒトイキ マトカニテ
この部分は天地開闢、すなわちこの世界の始まりについて、彼らの考え方が記された箇所ですが、現存するヲシテ文献全体の7箇所に比較対象となる記述があります。その7箇所を比較して見ると、この部分はウイのヒトイキが東から上昇して西へ下降するという円運動を繰り返し、最終的に中心に一本のハシラが立つように発光したことを描写している箇所であることがわかります。つまり、アメノミヲヤの発したウイのヒトイキの動き、そして円運動の顛末からエネルギーの発現までを、マトカというひとつの言葉で表現していることが解るのです。
そこで、マトカという言葉の文字のカタチと、マトカという言葉の意味について、文脈と文献内の記述を根拠として考えてみることにしました。

左と右とを中央を介して平行に結ぶ横棒と、中央から下部に向かって垂直に伸びる縦棒、そして円によって形成される「マ」。2本の斜め棒と、下と中央を結ぶ縦棒が中央で結合する形と正方形の組み合わせの「ト」。上下を結ぶ縦棒と、円によって形成される「カ」。
ここでは詳しく触れませんが、これらヲシテの図象の意味についての説明は、様々な形で文献内の各所に散見できます。
ヲシテ文献では円形の図象をマルと呼んでいます。また、規則的な循環運動のことをマワルと呼んでいます。これらは現代日本語にも承継されていますね。
このようなヲシテ文献中に数多ある言葉の用例と、前後の文脈、関連箇所等の比較検証結果を総括することによって、「マ」という文字が、1文字で円運動や円運動によって生じるひとまとまりのエネルギーを表現しているのではないか、という答えに私は行き着きました。
たとえば、同じ「マ」を使う言葉で、その場に留まることを継続するという意味のマツという言葉や、別の例を前の文脈に付与するマタという言葉など、こういった視点を利用して考えてみる事によって、その本質的な意味を探れる可能性について確信をもったのです。
これが、仮名漢字の呪縛から逃れ、ヲシテ文献を、そして日本語をヲシテの字形で読むということの試みの発端でした。
この考察の後、俗に言う安聡本(和仁估容聡による江戸時代後期の写本)をテキスト化したものを池田満先生より頂戴し、その中の上記に記した「ホ16-11」の箇所の「マトカ」が、和仁估容聡によって「円(まどか)」と漢字訳されていることを知り、自分の考察の方向性が正しいということに、改めて確信を得たことをしっかりと記憶しています。
そう、このとき私は「まどか」という日本語の存在を、恥ずかしながらすっかりと忘れていたのでした。しかし、「まどか」という日本語を忘れていながらも、「円(えん)」という言葉から連想できるイメージが頭の中から抜け落ちていても、文献に根拠を求め、文脈と文字形を考察することで、そのだいたいの意味が分ってしまったのです。これはとても衝撃的なことでした。
そして、マトカを「円(まどか)」と漢字訳してしまうことで、文字の背景に込められたエネルギーの動きが損なわれてしまっている。そのことについても確信を得ました。
以下が、安聡本の対応箇所の漢字訳です。
「古天地未剖 初在一元気貌圓」
いかがでしょうか?これでは上に書いたイメージは連想できませんよね。
つまり、ヲシテの字形によるこの箇所の「まとか」とは、アメノミヲヤのヒトイキが円運動を起し、その結果生じた一筋のエネルギーが、一箇所に収束して定常化し、さらには空間に一筋の光となって発現することをだいたい意味しているのですが、それが「円(圓)」と漢字1文字で書かれてしまうことで、本来の意味が損なわれてしまうわけです。
このように、マトカという言葉をきっかけとして、ヲシテはヲシテで読まなければ全く意味がなく、ヲシテ文献に記されている内容の真価を解明するには、ヲシテという特殊な文字の図象の解明が必須であるということに、私は確信を得たのでした。
しかし従前、松本先生と池田先生を除く殆どのヲシテ文献の研究者達は、原典を疎かにするばかりか、原文を漢字仮名混じりの翻訳やカナ変換し、全体の内容を追うばかりの研究を続け、なぜヲシテ文献がヲシテというこの特徴ある文字で書かれているかという事に対して、あまりに無頓着でした。
現在一般に出版されているヲシテ文献の研究成果を発表した書籍のうち、ヲシテの文字と原文を表記した上で解説を行っているものは、松本先生と池田先生の書籍のみでしょう。このような原典を無視した研究を多くの自称研究者が行ってきた、そして今現在も行っているという現状では、ヲシテ文献が偽書扱いされるのも仕方ありません。
ヲシテの文字形を無視し、仮名ルビ付きのヲシテ文献を読み、そしてヲシテ文献の表層的な内容を追うばかりでは、その深淵に眠る高度な哲学、そして真理に辿り着くことなど出来るはずがないのです。皆様もどうか、ヲシテ文献はヲシテ原字で御読み下さい。原文を漢字仮名混じりに訳すことなど、先人の知恵と想いを蔑ろにする愚かな行為であるといことについて、どうかご理解下さい。
さて、だらだらと長い上に、取留めのない内容で申し訳ありませんでした。更新をやめてから半年以上経ちますが、更新を確認するために定期的に訪問して下さる方が現在もいらっしゃることを、とても嬉しく思います。今後連載を続けてゆく励みになります。どうもありがとうございます。
現在、仕事が多忙であることや、親族が生死に関わる闘病生活を送っていることも重なり、今後もしばらくの間は更新は不定期になると思います。時間に余裕ができた頃に心機一転し、FC2ブログから撤退することを考えています。その後はHPを開設して、そちらに移転し、本格的に記事を書き始めることを思案しております。
しかしその前に「タマのネコヱを聴く」というブログタイトルに対しての記事をひとつ、書きたいと思っています。以前に書いた記事は、びーちぇさんにご指摘を受けて訂正箇所でいっぱいの記事でしたが、今度はもう少し自信をもって書けそうです。訂正した箇所を、再訂正する必要も出て来ました。
また「ウツホカセホト ミツハニノ」で記している、ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ、の概念についてのまとめは、あくまでヲシテ哲学の入門編という具合に認識していただければ宜しいかと思います。このあたりの理解についても研究が進んでおりますことを、加えてここにご報告させていただきたいと思います。
最後に。
最近、何よりも私が嬉しく思い、希望を感じているのは、
「自然の摂理に則った循環」の重要性について意識している方々が増えて来たことです。
そういった方々には是非、ヲシテ文献を手に取って、そしてルビを振ったものや、漢字仮名混じりの訳文などではなく、ヲシテ原文を読んでいただきたいと思います。
ヲシテ文献に内包されている重要なテーマのひとつこそ、自然の摂理に内包された循環であるからです。私達人も、自然の一部であることを忘れてはならないのです。
しわ
【続きを隠す】
この国には、様々なところで萌しが芽吹き始めていることに、改めて気付いたからです。それは、革命や変革というような類のものではなく、眠っていた記憶を静かに思い出すような…。決して今の状況から未来を楽観視することはできません。しかし、それらの萌しから、希望を強く感じたのです。
私は地方を旅するのが好きです。地方を旅する目的はいくつかありますが、そのひとつが神社の参拝です。地方の神社を参拝するとき、現地に到着してから公共の交通機関を使うことは、あまりありません。地方の公共の交通機関の殆どが死滅していて、使おうにも使えない現状ではありますが、例え使えたとしても、時間の許す範囲内で、出来うる限り歩くことにしています。時には、数10kmの距離を数時間かけて歩くことになります。しかし、そのことを苦痛に思うことは決してありません。歩くことでしか見えてこない景色や雰囲気、そして残された自然と、そこで生活する人々の営みから聴こえてくる音などを感じ、そしてそれらの奏でる音の調べを楽しみながら歩いているからです。
所謂古社と呼ばれる神社には、樹齢数百年を越える巨木が数多く残っています。その巨木の下で、様々な生命達が自然の摂理の中で生命活動を営んでいます。神域の森に囲まれた境内で、私は大きく深呼吸をします。その時、えも言われぬ充足感に満たされるのは、自然の中で生じた生き物達の生命活動の調べに、私の体が共鳴するからでしょう。
私は、そういった自然の摂理の内側にほど近い世界の営みから聴こえる、ささやかな調べの中にこそ、この国を救う希望や暗示が隠されていると思うのです。
世間を覆う拝金主義者や偽善者達の詭弁に惑わされ騙されることなく、氾濫する情報の正邪を見極め、思考を過信することを止め、感覚を全開にし、日々移り変わる自然の動きの有りの侭を受け止め、それぞれがこの国に産まれ生きる自分自身という存在について、改めて考えていただきたい。しっかりと眼を見開いて辺りを見渡せば、この国がまだ光に溢れていることにあなたも気付くことでしょう。私はその光を守り、大きく発展させたい。この暗澹たる現状に、ハル(春)をもたらしたいと思うのです。
現在、ヲシテ文献の研究は新たな局面を向かえています。後に記す諸事情から、私はあまり現在の作業に貢献できておりませんが、皆さまには、研究所による研究の成果の発表をどうぞ心待ちにしていただきたい。私は現在の研究の少し先を見据えつつ、自分の足元を固め、恐縮ながら池田先生が紹介文を書いて下さっているように、縄文哲学を正面突破してヲシテ時代の高度文明、高度な縄文哲学の解明に少しずつ挑みたいと思います。
私は、ヲシテ文献を読むにあたって、全体の内容を把握することよりも、先ずはヲシテの読み書きを始めました。ルビを振らずにヲシテを読めるようにならなければ、話にならないと思ってのことでした。そして、2週間ほどでようやくヲシテをルビなしで扱えるようになり、ヲシテ1文字1文字が私の体に馴染んできた頃、私の前に大きな疑問が立ちはだかりました。この文献がヲシテという特殊な文字で記されている必然という疑問です。
そして、その疑問に少しずつ回答を得るために「ウツホカセホト ミツハニノ」という記事の連載を始めました。池田先生のまとめられた書籍やブログの記事、びーちぇさんの記事などを参照し、それらを自分なりにまとめてみるという方法から始め、それに少しずつ自分なりの解釈、考察を加えてゆくという方法で記事を進めて行くことにしました。
当初から、ゆうに100回は超える膨大な更新回数の記事になるであろうということは予見していましたが、実際手をつけてみると、その読みがどれほど甘いものであったか、身に沁みてわかりました。しかし、書きながら直感的に、私は何かを掴みかけている気がしていました。
そしてついに、私に大きな転換点をもたらした、ひとつの言葉がありました。
それは「マトカ」という言葉でした。
ホ16-11
アメツチイマタ ワカサルニ
ウイノヒトイキ マトカニテ
この部分は天地開闢、すなわちこの世界の始まりについて、彼らの考え方が記された箇所ですが、現存するヲシテ文献全体の7箇所に比較対象となる記述があります。その7箇所を比較して見ると、この部分はウイのヒトイキが東から上昇して西へ下降するという円運動を繰り返し、最終的に中心に一本のハシラが立つように発光したことを描写している箇所であることがわかります。つまり、アメノミヲヤの発したウイのヒトイキの動き、そして円運動の顛末からエネルギーの発現までを、マトカというひとつの言葉で表現していることが解るのです。
そこで、マトカという言葉の文字のカタチと、マトカという言葉の意味について、文脈と文献内の記述を根拠として考えてみることにしました。

左と右とを中央を介して平行に結ぶ横棒と、中央から下部に向かって垂直に伸びる縦棒、そして円によって形成される「マ」。2本の斜め棒と、下と中央を結ぶ縦棒が中央で結合する形と正方形の組み合わせの「ト」。上下を結ぶ縦棒と、円によって形成される「カ」。
ここでは詳しく触れませんが、これらヲシテの図象の意味についての説明は、様々な形で文献内の各所に散見できます。
ヲシテ文献では円形の図象をマルと呼んでいます。また、規則的な循環運動のことをマワルと呼んでいます。これらは現代日本語にも承継されていますね。
このようなヲシテ文献中に数多ある言葉の用例と、前後の文脈、関連箇所等の比較検証結果を総括することによって、「マ」という文字が、1文字で円運動や円運動によって生じるひとまとまりのエネルギーを表現しているのではないか、という答えに私は行き着きました。
たとえば、同じ「マ」を使う言葉で、その場に留まることを継続するという意味のマツという言葉や、別の例を前の文脈に付与するマタという言葉など、こういった視点を利用して考えてみる事によって、その本質的な意味を探れる可能性について確信をもったのです。
これが、仮名漢字の呪縛から逃れ、ヲシテ文献を、そして日本語をヲシテの字形で読むということの試みの発端でした。
この考察の後、俗に言う安聡本(和仁估容聡による江戸時代後期の写本)をテキスト化したものを池田満先生より頂戴し、その中の上記に記した「ホ16-11」の箇所の「マトカ」が、和仁估容聡によって「円(まどか)」と漢字訳されていることを知り、自分の考察の方向性が正しいということに、改めて確信を得たことをしっかりと記憶しています。
そう、このとき私は「まどか」という日本語の存在を、恥ずかしながらすっかりと忘れていたのでした。しかし、「まどか」という日本語を忘れていながらも、「円(えん)」という言葉から連想できるイメージが頭の中から抜け落ちていても、文献に根拠を求め、文脈と文字形を考察することで、そのだいたいの意味が分ってしまったのです。これはとても衝撃的なことでした。
そして、マトカを「円(まどか)」と漢字訳してしまうことで、文字の背景に込められたエネルギーの動きが損なわれてしまっている。そのことについても確信を得ました。
以下が、安聡本の対応箇所の漢字訳です。
「古天地未剖 初在一元気貌圓」
いかがでしょうか?これでは上に書いたイメージは連想できませんよね。
つまり、ヲシテの字形によるこの箇所の「まとか」とは、アメノミヲヤのヒトイキが円運動を起し、その結果生じた一筋のエネルギーが、一箇所に収束して定常化し、さらには空間に一筋の光となって発現することをだいたい意味しているのですが、それが「円(圓)」と漢字1文字で書かれてしまうことで、本来の意味が損なわれてしまうわけです。
このように、マトカという言葉をきっかけとして、ヲシテはヲシテで読まなければ全く意味がなく、ヲシテ文献に記されている内容の真価を解明するには、ヲシテという特殊な文字の図象の解明が必須であるということに、私は確信を得たのでした。
しかし従前、松本先生と池田先生を除く殆どのヲシテ文献の研究者達は、原典を疎かにするばかりか、原文を漢字仮名混じりの翻訳やカナ変換し、全体の内容を追うばかりの研究を続け、なぜヲシテ文献がヲシテというこの特徴ある文字で書かれているかという事に対して、あまりに無頓着でした。
現在一般に出版されているヲシテ文献の研究成果を発表した書籍のうち、ヲシテの文字と原文を表記した上で解説を行っているものは、松本先生と池田先生の書籍のみでしょう。このような原典を無視した研究を多くの自称研究者が行ってきた、そして今現在も行っているという現状では、ヲシテ文献が偽書扱いされるのも仕方ありません。
ヲシテの文字形を無視し、仮名ルビ付きのヲシテ文献を読み、そしてヲシテ文献の表層的な内容を追うばかりでは、その深淵に眠る高度な哲学、そして真理に辿り着くことなど出来るはずがないのです。皆様もどうか、ヲシテ文献はヲシテ原字で御読み下さい。原文を漢字仮名混じりに訳すことなど、先人の知恵と想いを蔑ろにする愚かな行為であるといことについて、どうかご理解下さい。
さて、だらだらと長い上に、取留めのない内容で申し訳ありませんでした。更新をやめてから半年以上経ちますが、更新を確認するために定期的に訪問して下さる方が現在もいらっしゃることを、とても嬉しく思います。今後連載を続けてゆく励みになります。どうもありがとうございます。
現在、仕事が多忙であることや、親族が生死に関わる闘病生活を送っていることも重なり、今後もしばらくの間は更新は不定期になると思います。時間に余裕ができた頃に心機一転し、FC2ブログから撤退することを考えています。その後はHPを開設して、そちらに移転し、本格的に記事を書き始めることを思案しております。
しかしその前に「タマのネコヱを聴く」というブログタイトルに対しての記事をひとつ、書きたいと思っています。以前に書いた記事は、びーちぇさんにご指摘を受けて訂正箇所でいっぱいの記事でしたが、今度はもう少し自信をもって書けそうです。訂正した箇所を、再訂正する必要も出て来ました。
また「ウツホカセホト ミツハニノ」で記している、ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ、の概念についてのまとめは、あくまでヲシテ哲学の入門編という具合に認識していただければ宜しいかと思います。このあたりの理解についても研究が進んでおりますことを、加えてここにご報告させていただきたいと思います。
最後に。
最近、何よりも私が嬉しく思い、希望を感じているのは、
「自然の摂理に則った循環」の重要性について意識している方々が増えて来たことです。
そういった方々には是非、ヲシテ文献を手に取って、そしてルビを振ったものや、漢字仮名混じりの訳文などではなく、ヲシテ原文を読んでいただきたいと思います。
ヲシテ文献に内包されている重要なテーマのひとつこそ、自然の摂理に内包された循環であるからです。私達人も、自然の一部であることを忘れてはならないのです。
しわ
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ウツホカゼホト ミヅハニノ…
【続きを読む】




ホツマツタヱ18-7
▼アイウエオ ウツホカゼホト
ミヅハニノ マジワリナレル
ミナカヌシ ▲
ミカサフミ120
▼ ウツホウゴキテ
カゼトナル カゼホトナレハ
コノヰツツ マジワリナレル
カンヒトハ アウワアラワル
ミナカヌシ ▲
ホツマツタヱ16-14
▼ ウツホカセホト
ミツハニノ ヰツマシワリテ
ヒトトナル ▲
ホツマツタヱ14-12
▼ ウツホカゼホト
ミヅハニノ ヰツマシワリテ
ヒトトナル アメナカヌシノ
カミハコレ ▲
ウツホ カゼ ホ ミヅ ハニ
この五つが合わさって、最初のヒトが発現したことが各所に書かれています。
便宜上合わさると書きましたが、マシワルという共通表現も、漢字フィルターを通して理解してしまうと、そこで思考停止です。表層をなぞるだけであれば、合わさること交わること混合すること、という理解で終了です。
マ シ ワ ル
マ シ ワ リ
意匠に眼を凝らしながら、先ずは1文字単位で意味を考えることが重要です。
そのことについては、マトカ、サケテ、キヨク、ニゴリ、オモ、カロ、などの言葉を選び、抽出して、度々触れて来ました。
さて、この一連の記事は、最初に述べたように
ウツホカゼホト ミヅハニノ(1)http://gwyn.blog83.fc2.com/blog-entry-18.html
▼まず基本となることを、私自身がしっかりと認識したい▲
このような考えの元に書き始めました。
これはどういうことかと言いますと、
・通来の常識に、つまり仮名遣に囚われずヲシテの意匠の意味について考え、それを汲み上げること。
・仮名遣を通じて形成された現代人に理解し易い聞き慣れた単語であっても、その意味を鵜呑みにしない。
・漢字というフィルターを通しての理解は、二次的な物であるという思考を徹底すること。
・ヲシテを1文字単位で読むこと。
要はあらゆる先入観を取り払って、あくまでヲシテ原文と忠実に向き合うということでした。
そして、最も相応しい題材として選んだのが、アイウエオ、つまり五要素であり、天地開闢の箇所でありました。全ての始まりを記した箇所である天地開闢、この部分にこそヲシテの文字の意匠の成り立ちを考える上でのヒントがあるのではないか、そう考えたからでした。
それにはいくつか理由があります。例えば、現存するヲシテ文献の一つ全40アヤと奉呈文で形成されるホツマツタヱですが、大きくわけて成立年代が2つに分かれていることが解っています。具体的には、1アヤ〜28アヤが成立したのは、オオタタネコの存命の時代で、カミの代と呼ばれています。そして残りの29アヤ〜40アヤが成立したのは、景行天皇の存命の時代でヒトの代と呼ばれています。
1〜28アヤと、29アヤ〜40アヤの成立には、およそ600年の開きがあるということが、文献内の記述から読み取れます。600年という歳月から、この二つは全く別の文献と考えたほうが良いと思われます。
そして、このうちの古い年代に編纂された1〜28アヤに天地開闢の記述があります。
今現在、暫定的に、例えばウツホは気体、ミヅは液体、ハニは個体と言っています。
これは間違ってはいません。しかし、これはヲシテの多面的、重層的な構造の一面に過ぎません。
ウツホは、ウ ツ ホ であり、ウ ツホ であり、ウツホであるのです。
ミヅは、ミ ツ であり、ミツなのです。
ヒトは、ヒ ト であり、ヒトなのです。
なぜウツホなのか、なぜミツなのか、なぜヒトなのか。
前々回あたりから更新が滞り始めたのは、ヲシテ研究所の研究が新たな段階に突入し、前進していることに起因しています。
ウツホカゼホト ミヅハニノ
は今回で一端終了です。
本日、真名さんが「真名の日本巡礼」を休止することを書かれています。
「タマのネコヱを聴く」も今回の記事を持ちまして、更新頻度が極端に落ちることをここにお知らせ致します。更新回数が減っても度々訪問して下さった皆様、ありがとうございました。まとまった記事ではなく、気分で何か書くことはあるかも知れません。
それでは、また。
【続きを隠す】




ホツマツタヱ18-7
▼アイウエオ ウツホカゼホト
ミヅハニノ マジワリナレル
ミナカヌシ ▲
ミカサフミ120
▼ ウツホウゴキテ
カゼトナル カゼホトナレハ
コノヰツツ マジワリナレル
カンヒトハ アウワアラワル
ミナカヌシ ▲
ホツマツタヱ16-14
▼ ウツホカセホト
ミツハニノ ヰツマシワリテ
ヒトトナル ▲
ホツマツタヱ14-12
▼ ウツホカゼホト
ミヅハニノ ヰツマシワリテ
ヒトトナル アメナカヌシノ
カミハコレ ▲
ウツホ カゼ ホ ミヅ ハニ
この五つが合わさって、最初のヒトが発現したことが各所に書かれています。
便宜上合わさると書きましたが、マシワルという共通表現も、漢字フィルターを通して理解してしまうと、そこで思考停止です。表層をなぞるだけであれば、合わさること交わること混合すること、という理解で終了です。
マ シ ワ ル
マ シ ワ リ
意匠に眼を凝らしながら、先ずは1文字単位で意味を考えることが重要です。
そのことについては、マトカ、サケテ、キヨク、ニゴリ、オモ、カロ、などの言葉を選び、抽出して、度々触れて来ました。
さて、この一連の記事は、最初に述べたように
ウツホカゼホト ミヅハニノ(1)http://gwyn.blog83.fc2.com/blog-entry-18.html
▼まず基本となることを、私自身がしっかりと認識したい▲
このような考えの元に書き始めました。
これはどういうことかと言いますと、
・通来の常識に、つまり仮名遣に囚われずヲシテの意匠の意味について考え、それを汲み上げること。
・仮名遣を通じて形成された現代人に理解し易い聞き慣れた単語であっても、その意味を鵜呑みにしない。
・漢字というフィルターを通しての理解は、二次的な物であるという思考を徹底すること。
・ヲシテを1文字単位で読むこと。
要はあらゆる先入観を取り払って、あくまでヲシテ原文と忠実に向き合うということでした。
そして、最も相応しい題材として選んだのが、アイウエオ、つまり五要素であり、天地開闢の箇所でありました。全ての始まりを記した箇所である天地開闢、この部分にこそヲシテの文字の意匠の成り立ちを考える上でのヒントがあるのではないか、そう考えたからでした。
それにはいくつか理由があります。例えば、現存するヲシテ文献の一つ全40アヤと奉呈文で形成されるホツマツタヱですが、大きくわけて成立年代が2つに分かれていることが解っています。具体的には、1アヤ〜28アヤが成立したのは、オオタタネコの存命の時代で、カミの代と呼ばれています。そして残りの29アヤ〜40アヤが成立したのは、景行天皇の存命の時代でヒトの代と呼ばれています。
1〜28アヤと、29アヤ〜40アヤの成立には、およそ600年の開きがあるということが、文献内の記述から読み取れます。600年という歳月から、この二つは全く別の文献と考えたほうが良いと思われます。
そして、このうちの古い年代に編纂された1〜28アヤに天地開闢の記述があります。
今現在、暫定的に、例えばウツホは気体、ミヅは液体、ハニは個体と言っています。
これは間違ってはいません。しかし、これはヲシテの多面的、重層的な構造の一面に過ぎません。
ウツホは、ウ ツ ホ であり、ウ ツホ であり、ウツホであるのです。
ミヅは、ミ ツ であり、ミツなのです。
ヒトは、ヒ ト であり、ヒトなのです。
なぜウツホなのか、なぜミツなのか、なぜヒトなのか。
前々回あたりから更新が滞り始めたのは、ヲシテ研究所の研究が新たな段階に突入し、前進していることに起因しています。
ウツホカゼホト ミヅハニノ
は今回で一端終了です。
本日、真名さんが「真名の日本巡礼」を休止することを書かれています。
「タマのネコヱを聴く」も今回の記事を持ちまして、更新頻度が極端に落ちることをここにお知らせ致します。更新回数が減っても度々訪問して下さった皆様、ありがとうございました。まとまった記事ではなく、気分で何か書くことはあるかも知れません。
それでは、また。
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